落ち葉を見てすぐに掃こうとする人と眺めるだけの人と2種類の人がいる
街では歩道の落ち葉が嫌われる
掃かないのは落ち着かないが、せっせと掃く人もきりがない
もともと落ち葉など目に入らない人もいれたら3種類の人がいる
あなたはどちらか?考えてみてほしい
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落ち葉を踏むのは仕方がないが・・
掃かなければならないものだろうか
無責任なことを承知で言えば、掃かないほうがいい落ち葉も多い
そんなとこほどせっせと掃いている気がする
そんな人はせっせと掃いてごみ(燃やすごみ)として出す
京都市は剪定枝葉と落ち葉を中身の見える資源ごみ袋で回収することにしたみたい
草や竹や木の根はダメであるが、落ち葉は取ってくれることがはっきりした
しかし各家庭の分に限る、植木屋などに任せたものはダメだという
なんとなくまだ宙ぶらりんだ

昨日上を見たら紅葉である
今日下を見たら落ち葉であるが
都会の舗道では落ち葉も紅葉なのだ
本来は有用なものだったのだ、土になるはずなのだ
あるいは今度資源ごみ扱いになれば土に帰るチャンスかもしれない
落ち葉の運命、どちらがいいのかそれも分からない
落ち葉をせっせと掃く人も嫌いではないが
きっと、その人は腹の中では街路樹の木を切ることを願っている気がする
落ち葉は青葉の成れの果てであることを知ってほしい

小生、都会の落ち葉が冷たい風に舞うのは好きである
落ち葉はそもそも誰のものなのだろうか?
それはさておき、どうせほっといてもどこかに吹き溜まるだから・・
身につまされて書いている
いずれ吹き溜まる、その時になればゴミに近づく
まだ落ち葉は掃かなければならないと思い込んでいる人が多い
鯵庵(11.20)


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by ajiankyoto | 2016-11-20 16:08 | ハロー・ワーク | Comments(1)

自分の駅で降りただけ

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小生今はと言うと・・
サラリーマン社会の枠からはみ出してしまって
戻ることの出来ない現役の世界を過去として暮らしはじめている
素人間でもある
社会は席を譲ることで成り立っていたのかもしれない
退職だってそうだが、逆に大昔採用され新入社員にもなれた
その後の昇格・昇任だって枠のある限りまた空いた席のある限りにおいて、譲られてきた
譲られたことに気づかなくとも、譲られたことは一方で同時に譲ることでもあった
特に私たちの世代は、いつも枠の内の数を意識させられてきた

だが、退職してしまってからは少し違う
例えが悪いが、席取りゲームからはみ出したようなもので、取り合いすべき席は無い
そうかと思うと座布団だけを持たされたような世界だ
自分で勝手に枠外の好きなところへ座れと言うことであろう
一つの役割は終えたけれど、その後の役割は全くもって漠然としている
五木寛之は“林住期”とも言っていたが、やはり今まで以上に無常である

電車の席と同じである
空いていている限り自分が座っていい
しかし、降りるときに席に未練を持つ人はいない
乗客にはそれぞれ行く先がある、乗り換えも自由である
が、何を言われなくともそれぞれ自分の駅で降りる
せっかく取った席だからと言って、そのために次の駅や終点まで行く人がいる筈が無い

小生は電車を降りた
これからまだ先に行く人にとっては、それはただの空席に過ぎない
変に礼など言われたら困る、そのかわり降りたからと言っても自分の座布団だけは持っている
どこかに座るところを見つける、さ
それでも、これからも何度も自分の意思で行きたい方の電車にも乗るし、自分の駅で降りる
そうなんだ、全くもって自分の駅で降りただけのことである

写真は「団塊の世代」昭和51年(1976)に発行された、私が読んだのは昭和55年(1980)、その時もう30歳を過ぎていた、そうだそれからだ、死ぬまで競争かもしれない宿命を感じた
鯵庵(28.11.10)

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by ajiankyoto | 2016-11-10 12:00 | 往生 | Comments(0)

私の林住期?

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林住期とは生きるための仕事からリタイアして、人生とは何かを思考する季節・・・と作家の五木寛之が「百寺巡礼」で書いている
さて、これからは趣味も楽しみたいがどれも中途半端だし、病気にはなりたくないが先のことは分からない
家族のことも同じで、心配の種は尽きないが、いまさら零に戻すことも出来ない
多くの人たちと同じように特別な幸運は望むべくも無いが、いつか帳尻があったら人生“可(よし)”とするか
という気分である
たしかに、過去に誇りたいものもある、しかし、思えば過ちも無いわけではない
いいことだけを思い出すのも楽しいかもしれないけれど、過去を美化していくことは、それも一つの老化現象だと思う
どんな鋭利な頭脳の持ち主も意識しなければ老人化は防げない
いい思い出だけを語るなら、いっそのこと何も語らない方がいい・・のではと思ってしまう
結局今までのもので誇るべきものは何もないが、それでも今までと同じように生きていかねばならない

仕事もないと落ち着かない、社会との付き合いである
何も出来ないが何もしないよりはマシだろう
勿論その程度のことで何か見返りを期待しているのでも無い
いつまでも出来るとは思わないし、もっと何かをするかもしれない
社会の邪魔はしないつもり・・
やらしてもらっている間は世の中への義理も感じるのだが・・
他人に分かってもらわなくとも差し支えはない

この件に関しては未完成につき、予告なく変更する場合があります
写真は柿紅葉
鯵庵(10.18)

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by ajiankyoto | 2016-10-18 07:24 | 往生 | Comments(0)